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「まごころでお見立て、まごころでお付き合い」 電話 04 (7158) 1018(代表) |
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2006/9/5更新
| 流山は17世紀後半の江戸・元緑時代頃より水運による江戸への物資運送の中心地 として大変賑わいました。また「しょうゆ」の野田と共に「みりん」の 流山といわれ全国的に知られております。また今年はNHK大河ドラマ 「新選組!」放映を機に、近藤勇・土方歳三永遠の離別の地として 週末には大勢の観光客で賑わい、当店オリジナルの新選組グッズも多くの お客様に見ていただいき、大変好評でございます。 当店は、その新選組来流より10年程遡る1859年(江戸安政6年)、 醸造業より転じて呉服店となり、慶応、明治、大正、昭和の時代を経まして 145年に亘り、現在地において呉服一筋の道を歩んで参りました。 そして創業以来「価値ある商品を価値ある価格」をモットーと致しまして、 その結果、柄自慢の「ましや(増屋)」という評価を頂けるようになりました。 また、日本古来の伝統技術が年々減少していくなか、「きもの」という 世界に誇りうる伝統美を追求して行くことが日本文化の次の時代への継承に繋がる ものと考え、又心掛けていくつもりでございます。 決して交通の便が良い場所ではございませんが、 静かにゆっくりと心のこもったお見立をさせて頂きますので、 ぜひ一度お立ちよりの程心よりお待ち申し上げます。 |
| 甲州勝沼にて官軍先発隊に破れた新選組局長近藤勇は、再起を図るべく 慶応四年(1868)3月6日から4月2日未明にかけて、総勢200余名を従え、 流山へやってきた。流山では醸造家「長岡屋」(現流山2丁目秋元邸)に本営を置き、 多くの隊士らは近隣の「光明院」「流山寺」等に分宿した。翌4月3日、 この情報を得た西軍の先方隊が羽口(ばくち)の渡しや飛地山に砲列を敷き包囲した。 この時近藤勇は「大久保大和」として幕府公認の治安隊であることを主張し、 武器を差し出し単身出頭した。しかし、板橋へ向かう途中、 元新選組局長近藤勇であることが露見し、捕われの身となってしまう。 その後、土方歳三らは江戸にて勝海舟に近藤の助命嘆願するが、 その思い通らず、4月25日、近藤勇は板橋宿にて処刑される。 流山を離れた新選組隊士は会津へ移り、最後は箱館戦争で降伏、土方歳三も戦死する。 流山は新選組をつくりあげ、幕末という激動の時代を駆け抜けた 近藤勇・土方歳三両雄の永遠の別れの地となった。 |